凸凹デイズ、まだまだ読めず。

凸凹デイズ (文春文庫 や 42-1)

凸凹デイズ (文春文庫 や 42-1)

1行目は、一人称。だれかの短い独白、感想だ。
すぐ改行しての2行目は、3人称のようだ。前の独白が凪海という人物のものだとわかるが、「私は」でも「ぼくは」でもなく「凪海は」とその行動が書いてあるので3人称のようだ。
すぐに改行しての3行目は、1行目と同じく独白というか感想または心理。もちろん「凪海」のその瞬間の気持ち。凪海は「なみ」とふりがなを振ってあるから女性らしい。
頭の中の言葉の口調から若い女性のようだ。
4行目は、ややこしい。凪海さんの心の中の言葉をそのまま使いながら、その気持ちと同時に天候の方も説明しているのだ。つまり、一文の中に1人称と3人称を併用する文章なのだ。

これは脚本か何かの方法を借りた書き方なのだろうか。読み手が小説の世界にあっと言う間に入っていけるありがたい方式のひとつで、現代では読みやすい小説に必要な書き方なのかもしれない。


何かと比較しても仕方ないけれど、手近にある本のメモとして。

太宰治新潮文庫新樹の言葉』冒頭作品「I can speak」は、わずか3頁程度の掌編で、1人称で最後まで人称は変化しない。次の、20頁ほどあって少し長い「懶惰の歌留多」も同様に一人称のままで終わる。

新樹の言葉 (新潮文庫)

新樹の言葉 (新潮文庫)